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自宅のADSLをYahoo!ブーブーに切り替えることにした。
ところがまだ必要な機器も届いていないのに、NTTの局内工事が秘密裡に行われたらしく、いきなりインターネットに接続できない状態になってしまった。
ぶーぶー。
たった一晩のことなのに、まるで停電か断水にでも遭ったような気持ちでいる。これなら電話が使えなくなるほうがまだ平気だろう。インターネットにつながりっぱなしなってからまだ2年も経っていないのに、どっぷり依存していることがどこか悔しい。誰かが作ったものに振り回されるのって、キライなのよね。
いきなりエクセルがぶっとんで、ここ何週間かのデータがきれいに消えてしまった。どうしてこんなことになったのか、皆目検討がつかない。やっぱりバックアップは取らないとねえ、しくしく。
でもバックアップを取らないで痛い目にあう確率は何パーセントか知らないが、毎日取ってめんどくさい思いをする確率は100パーセントなんだよなあ。
■車で信号待ちをしていたら、制服のスカートをうんと短くして、ばさばさにカットした髪を明るい茶色に染め、白のルースソックスにかかとを踏んだ靴といういでたちのどこにでもいるような平凡な高校生が、人目も気にせずタバコを吸いながら横断歩道を渡っていた。うひゃあ、カッコわりーっ。
■隣で工事をしていた兄ちゃんに脚立を借りて、入口の蛍光灯を替えた。
いったんクルマに積み込んだ後だっていうのに、気持ちよく貸してくれてありがとう。
■山本周五郎の「さぶ」を読んでいたら、寝るのを忘れた。さすがに眠い。
アゴタ・クリストフの「ふたりの証拠」と「第三の嘘」を一気読み。
「悪童日記」の続編というから楽しみだったのに、いささかがっかり。
2作目には1作目とは違った衝撃を、という気持ちは分かるけど、
作品の土台を揺るがすような奇策は使ってほしくなかったなあ。
これを読んだおかげで、面白かったはずの「悪童日記」まで色あせてしまった。
借りたままで観ていなかったDVDを夜中にひとりで観た。リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」である。
映画のことはよく分からないんだけど、何か不快だった。
「神の啓示を受けた純真無垢な少女が国を救う偉大な働きをした」という普通の描き方をしてくれた方がよほど心を打つと思った。
内臓をぐちょぐちょ引っ張り出して、得意げに、見よこれが人間の実体だ、と言いつのるような描き方は、どうも好きになれない。
美しいものは美しいままでいいじゃないか。そりゃ美しいひと、なんてものはフィクションかもしれないけれど、それを言うなら引きずり出した内臓、だって同じくらいフィクションなんだからさ。
紅葉の名所香嵐渓(こうらんけい)では、毎年11月になると屋台が出る。屋台と言ってもたこ焼き綿菓子などというありきたりのものではない。刀削麺、水餃子、松茸ご飯、鮎の塩焼き、鮎雑炊、五平餅、味噌田楽に手作りフランクフルトなど、もうあれもこれも旨いモノばかり。食べに食べ、これ以上はどうやっても入らないという限界を知った。幸せとは、こういうことを言うのだなあ。
本格的に寒くなる前に、拭き掃除をしてしまおうと思い立ち、窓を拭いたり、トイレを磨いたり、エアコンのフィルターをきれいにしたり、机をごしごしこすったり、蛍光灯を一本ずつ拭いたりしていたら、何かイイコトとしているような気持ちになった。たまにしかやらない人は、きっとみなこうなのだろう。
ときどき自分の物覚えの悪さが恨めしくなる。
信じられないことに、いつもいつも使っているパソコンソフトの使い方を、ときどききれいに忘れてしまうのだ。
このウェブページは、出来合いの素材を使わないで、すべて自分で写真を撮り、絵を描き、文章を書くというなかなかご苦労さんな作り方をしているのだが、それだけ手間をかけているにもかかわらず、見事に忘れる。
今日はこの「行灯日記」を新しいページに書き起こそうとして、レイアウトの設定の仕方を忘れてしまっていることに気がついた。
泣きたい。
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