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何日か前に欧州連合(EU)の首脳による経済会合の席上で、フランスのセリエール氏が演説をした。
彼はEU33ヶ国の産業界を代表して、行きすぎた保護主義の弊害を訴えたのだ。
彼の演説はフランス語で始まったが、途中で英語に切り替えられたという。
さて、ここで問題です。
その場には、シラク大統領をはじめとする外相、経済相という面々が揃っていましたが、演説が英語に変わったとき、どんな反応を示したでしょう。
こたえ。
「フランス人がEUの場で英語を話したことに強い衝撃を受け」て、椅子を蹴って退席してしまった。んだって。
すごくない、ね、すごくない、これ?
国際会議の席をだよ、「聞きたくない」と言って立ってしまうんだよ。
直後の記者会見で、「英語文化の席巻から世界を守る意味でもフランス語は重要だ」と語ったというが、そうした高邁な理想に基づいた行動であればすごいし、大統領という立場を忘れて思わず立ってしまったとしても、やっぱりすごい。
仮にわが日本で、経団連の奥田会長あたりが国際会議の席上で英語のスピーチをしたとしよう。はたして小泉総理は「けしからん!」と憤慨して席を立つだろうか。
考えられない。
むしろ「さすがに国際的だよね」なんてぱちぱち拍手をしちゃうのではないだろうか。
もちろん長い侵略じゃない殺戮じゃない植民地支配じゃない、えーと、活躍の歴史があるから、フランス語は今日でも有力な国際言語である。その点、数あるローカル言語のひとつにすぎない日本語とは比較にならない。しかし、だからと言って席を立ってしまうのが当然と言えるほどのものではあるまい。
もともとフランスは、自国の文化を守ることに熱心である。ラジオの放送でも40パーセント以上はフランス語の曲を流さなくてはいけないとか、ハリウッドに駆逐されないようにフランス映画に手厚い保護が与えられているとか、そんな話を耳にすることが多い。なかなか立派なことである。
ぼくはかねてから、こうしたフランスの姿勢には好もしいものを感じていた。
アメリカンカルチャーの強大な浸食力に対抗するために、国を挙げて闘っている。
政治家と言えば、わが国においては無粋の代名詞のように見なされているのに、かの国では、自国の文化を守ることをときとして自由を保障すること以上に大切にしている。
ああ欧州には、これほど志の高い政治が残っていたのか、とただ賛嘆していたといってよい。
ところがね、今回のこの騒動で、ちょっとおかしいんじゃないの、ってな気がしてきたのよ。
もしかしたら彼らは、英語文化が世界を席巻することは許されないが、フランス語文化が世界を席巻するのはすっごくオッケー、と思っているのではないか。
アメリカのひとり勝ちは断じて認められないが、フランスが勝つなら問題ない、と考えているのではないか。
さらにそれを自国のエゴとは思わずに、普遍の正義くらいに信じているのではないか。
そんな疑いがむくむくと湧いてきたのだ。
だって国際会議で一番通じやすいのは英語だろう。
その英語を使うことを許さないというのは、コミュニケーションよりも自国の面目を優先した、ということに他ならない。言い換えれば、フランスの本音は、他の国と分かり合うことよりも、俺の偉さを見せつけることのほうだ大事、ということなのだ。この姿勢は、はたして公正と言えるだろうか。
フランス語は世界でいちばん美しい。
たしかにそうだ。
しかし、英語も世界でいちばん美しい。
日本語だっていちばん美しい。
ローカルな論理では、それらは常に真である。
しかしこれは、せいぜい、
ウチの子がいちばん可愛い、
というのと同じレベルの話に過ぎない。
今回のシラク大統領の振る舞いは、国内に向けて自国の文化を守る大統領という姿を示したかったのか、EUの中でのボス争いの一環なのか、真の狙いは分からないけれど、自分の面子のために会議をぶち壊すことをも辞さないという態度には、何だか恐ろしい傲慢さを感じてしまう。
アルザス語をしゃべっているはずの村の先生に「フランス万歳」と言わせてしまう「最後の授業」の美しい暴力性を、ふたたび思い出してしまった。
フランス万歳、ではなくて、フランスだけ万歳、ってか?
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