それで公平なのかなあ

 

毎年この時期になると、
きまって、 「大学入試で出題ミスがあった」、
というニュースが流れる。
そして、ミスが明らかになった場合の措置は
これまた決まって、
「この問題について受験者全員を満点とする」
というものである。
ふーん。

今日のニュースでは、こんなの。
千葉大のスポーツ科学課程の入試で、
「トルシエとジーコの指導法の違い」を論じる
という記述問題が出題されたというのだが、
その問題文の中に、
「トルシエは日本を初めてW杯に導き、
ベスト8という快挙を云々」
というくだりがあったんだってさ。

ところが、これが大チョンボ。
事実は 「初めてW杯に行ったのは岡田監督で、
トルシエの成績はベスト16」だった、
というから、確かにお粗末な話ではある。

大学がこのミスを重大なことと受け止め、
受験者に謝罪し、
責任をとろうとしたことは、ま、
誠意ある態度、と言えるのかもしれない。

しかし、フツーの感覚で考えてみると、
その程度のことが、
はたして小論文の出来に
決定的な影響を及ぼすものなのだろうか。

こういう問題では、
トルシエのようなタイプの指導者と
ジーコのようなタイプの指導者を比較すれば十分なはずで、
ベスト16がベスト8であっても、
組織力を重視して隅々まで統制しようとする指導者と、
個人の能力を最大限に発揮させようとする指導者の対比、
という論点には、何も影響しないんじゃないか。

それなのに、大学は、こともあろうに、
全員を満点にする、という。
そんなことをして、いったいどうなるというのだ。

言うまでもなく、
250点中の100点を全員に与えるという
この措置によってもっとも得をしたのは、
まるで小論文の勉強をしてこなかった受験生であり、
もっとも被害を受けたのは、
この論文試験のために長い時間訓練をしてきて、
素晴らしい答案を書いた受験生である。

ずっと勉強してきた結果がこれだ、なんて、
ちょっとそりゃ、ひどいんじゃないの?

この例に限らず、
出題ミスによって全員に点を与える、というのは、
ちゃんと勉強をしてきた受験生が不利になる、という
最低最悪の措置だとぼくは思う。

「問題」が「間題」とプリントされていたから解けない、
なんていう受験生が本当にいるのなら、
そんな問題解決能力のない学生はいりません、
とでもいって
ばんばん落としてやればよいではないか。

ほんとうに恐れなくてはならないのは、
世間に批判されることではなく、
本来なら受かるはずの受験生を落っことし、
彼の人生をねじ曲げてしまうこと、ではないのか。
ねえ。