備えあればいろいろと

 

万が一に備える、ということは大事なことである。

保険に入っておく。
毎月きちんと貯金をする。
シートベルトを締める。
枕元に防災袋を用意しておく。
北朝鮮の悪口は言わない。
床下に防空壕を掘っておく…。
家族の安全と幸せを守るためには、
このくらいの備えは当然であろう。
ぼくはずっと、そう考えてきた。

しかし、よくよく思い直してみると、
病気・失業・災害・事故などに対する不安は、
どんなに公的な保障が充実していても、
どんなにお金をたくさん蓄えていても、
(たぶん)なくなるものではない。
きんさん・ぎんさんですら、
テレビの出演料を老後のために貯金していたというから、
もしものために備えておきたいという気持ちは、
いくつになっても限りがないのだ。

いつになっても
どれだけ貯めても安心することができないものならば、
万が一はしょせん万が一のことだ
と割り切ればいいじゃないか、
ぼくは最近、そんな風に思うようになってきた。

健康のために、
食べたいものも飲みたいものも我慢して、
したくもない運動をしたり、
生活を切りつめながら生命保険をたっぷり掛けたり、
嫌がる子どもをチャイルドシートに縛りつけ、
楽しいお出かけを台なしにしたりすることが、
はたしてそんなに素晴らしいことなんだろうか、
と思うのだ 。

なにしろ万が一の備えが役に立つ可能性は、
文字通りにとれば 0.01パーセント以下である。
そんな可能性のために快適な生活をあきらめることが、
ほんとうに唯一の正しい選択なのか。
いま目の前にある現在よりも、
将来の“もしも”を大切にすることが、
そんなに賢明なことなのか。

思いこみを排して考え直してみると、
万が一のために現在を犠牲にするというのは、
宝くじを買うのに生活費を切りつめる、
ということと、本質的には同じ、と言えなくもない。

じっさい、宝くじを買う人は、
自分の身に万が一のことが起こるかもしれないと思っている。
だから買わない人と比較して、
よりたくさんの保険に入っている、
という調査結果もある、というのはウソだけど。
人は将来を生きることはできない。
いつでも生の現実は、現在しかないのだ。
明日どうなるか分からないのが人の運命なのだから、
しあわせを先送りし続けるような生き方は、
そろそろ見直されるべきかもしれない。
幸福はいつも、今ここにこそあるべきなのだ。

そういうわけだから、買っていいかなあ、
iBook。