運は自分の手でつかめ

 

まあ三十年前ってところか、
子どものころは、ずっと犬を飼っていた。
ポチの次はサブ、サブの次はムク、
ムクの次はドンベエと、雑種一筋である。

そのころ家の周りは空き地だらけで、
散歩というのはつまり、空き地でフンをさせることだった。
もちろん始末などしない。そのままである。

とはいっても、
ぼくがとりわけわるいガキだったわけでも、
わが家が特別にアナーキーだったわけでもなく、
そもそも当時は
犬のフンを持ち帰る人などいなかったように思う。

今では随分さまがわりをして、
フンを始末するのは当然のマナーとして
すっかり定着しているが、
しかしまだ、そのままにして行ってしまう人もいる。

そういう輩を見つけるたびに、
けしからんぷんぷん、と怒っているあなた、
まあ聞いてくださいな。

一般に、犬の運置の始末をしないのは
ひとえに飼い主のモラルの問題ととらえられている。
ぼくもかつて書いたように、単純にそう考えていた。
しかし本当にそうなのだろうか。
もしかしたら、これは倫理道徳や
市民社会の一員としての自覚などの問題ではなく、
なにより実践的知識の欠如の問題なのではないか、
ある日そんな疑いが、ぼくの脳裏をかすめたのである。

まず、いかなる道具を用いて運置を採取するか。
袋を手袋のように使って直につかむのは
社内通念上妥当なのか、
もし妥当だとしても下痢でもしていたらどうするのか。
すばやく袋を構えて
犬をして直接その中に運をせしめるべきなのか。
そのとき犬が突然向きを変えたりしたら
直撃されてしまう心配はないのか。
スコップを持ち歩くとすると、
運を回収した袋とスコップとリードを持たなくてはならず、
それでは十分に犬の行動を制御できないのではないのか。
また運を収納するにふさわしい袋は何であるか。
スーパーのポリ袋を使用する場合、
中が見えないようティッシュペーパーなどを
併用すべきか否か。
持ち帰った運はいかにして処理すべきか。
トイレに流すのか。
人間のトイレに犬の運を持ち込んでも人間の健康に
何らかの影響がないと断定できるのか。
運の粘性が低く固形物としての形状を保ち得ない場合や
運が袋の内壁に付着して容易にこれを分離しえないときには
どうするのか。
運とともに道端の草などが混在しているとき、
流してしまってよいのか。
小石が混じっていたらどうなのか。
そうした場合、ゴミとして捨ててしまってよいのか。
ゴミならこれは燃えるゴミなのか、燃えないごみなのか。

このようなことを考えると、
運の処理には実に専門的な知識と
高度な判断力が要求されているのであり、
決して簡単にマナーの問題として片付けられるものではない。

だからぼくは、
「マナーをわきまえないばかちゃん」
という烙印を押されている人の中にも、
捨てちゃいけないんだよね、そりゃそうなんだけどさ、
どうしていいかよくわからないから、
ええい、そのまま帰っちゃお、
という人が相当いるんじゃないかと思うのだ。

社会をよりよく変えていくのは、
断罪ではなく啓蒙である。
やっていいこと悪いことを教えることだけでなく、
どうすればしっかりやれるのか、
その方法を教えることである。

そんなことを思って立派なことを書くつもりでいたのに、
案の定、妙な話になってしもた。
いやいやすまんこって。