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桜が満開である。
今年はいつになくたくさん歌や詩を読んでいたから、
何だか桜が楽しみだった。
花が咲くずっと前から、
宿りして春の山辺に寝たる夜は
夢のうちにも花ぞ散りける
なんてうつくしい歌を思い出したり、
桜のしたに人あまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも桜の木の下に立ちてみたれども
わが心はつめたくして
花びらの散りて落つるにも涙こぼるるのみ。
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。
なんていうこれまた美しい詩を思い出したりして
開花を心待ちにしていたのだが、
いざこうして満開の桜を見てみると、
想像なんぞものともしない現実の力を思い知る。
というのはほかでもない。
実はぼくは昔から、
満開の桜というのが大の苦手なのだ。
いくら美しい歌を口ずさんでも、
こればかりは何ともならない。
だって桜というのは春そのものじゃないか。
春は別れの季節じゃないか。
桜の盛りを眺めていると、
見知らぬ場所に自分ひとりが
置き去りにされてしまったような、
寂しい気持ちがするじゃないか。
そして何より、あの桜の色がダメなのだ。
ソメイヨシノの淡いピンクを見ていると、
ぼくはきまって目の裏あたりがきゅっとなって、
頭痛がしてくる。
とりわけ桜ばかりがかたまって、
らんまんと咲き誇っている、なんていうのがいけない。
ちょうど濃厚な香水の匂いをかいだように、
気分が悪くなってしまうのだ。
これは好悪ではなく、まったく生理の問題である。
というわけで、
さくらはどうも苦手だし、
どこかもの哀しい感じがするけれど、
それでもうれしいもんだよね、春ってえのは。
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