そこに住んでいるだけで

 

アメリカが・イラクを・攻撃するという。
簡単に言うが、それはいったいどういうことだ。

イラクを攻撃するというが、
そもそも、その、イラクというのは何なんだ。
土地の上に引かれた区画か。
国会議事堂か。
フセインの住むなんとか宮殿か。

ちがうだろう。そりゃ違うはずだ。
国、なんていうものはどこにも実在しないのだから。
これが国だ、と指し示せるような実体はどこにもない。
「国」とは実体ではなく、概念なのだ。

実体がないものを攻撃することはできない。
攻撃の対象になりうるのは、実体だけだ 。
そしてその実体とは、
そこに住む普通の人たちに他ならない。

そこに暮らす人たちは、
大変な圧制に喘いでいるとも
独裁者を恐れ、びくびくしながら生活している
とも伝えられている。

それが仮に事実だとしても、
彼らはきっと、そんな現実と折り合いをつけながら、
ふつうに勤めに出て、ふつうに学校に行き、
ふつうに笑ったり、ふつうに愛し合ったりしながら、
人として平穏な気持ちで暮らしてきただろう。

いくら政治家が専横を極めても、
いくら危険な軍備が増強されようとも、
いくら酷薄な官憲が目を光らせていようとも、
ふつうの人はいつだって、ふつうに暮らしているものなのだ。

八百屋は野菜を売り、 子どもはおかあさんにまとわりつき、
工員は旋盤に取りつき、株屋は電話にかじりつく。
おかしければ笑うし、不愉快ならば怒る。
彼らはフセインではなく、家族や友人や隣人の顔を見ながら、
そうやって当たり前に暮らしてきたのだ。
そこへ正義の士、神のしもべ聖ジョージが現れる。
さあ、可哀想なあなたがたを解放してあげよう、
あなたがたからおそれと憎しみを取り除き、
かわりに平安と民主的な秩序をもたらしてあげよう。
そんなことを言いながら、
天からどかんどかんどかんどかんと
雨のような爆弾を落とす。
どかん、どかん、どかん、どかん。

爆弾というものは、
飛行機が/建物に/落とすものではない。
名前を持ったパイロットが、
名前を持った子どもに、
名前を持った母親に向けて落とすのだ。
どかん、どかん。

サダムがいるはずもない場所に
雨のような爆弾を降らせる 。
たまたまそこに住んでいる、
ふつうの人を殺すため。

明るく笑っていた八百屋も、
おかあさんにしがみついていた子どもも、
旋盤で寸法あわせをしていた工員も、
電話を置いて一息ついた株屋も、
一瞬のうちに吹き飛ばされる。

だいじょうぶ、わたしたちは敵ではない。
あなたがたを解放するために
平和をもたらすためにやってきたのだ。
どかん、どかん。

むごたらしく壁に叩きつけられた肉塊は、
喜びのあまり、口もきけない。

たまたまイラクに生まれてしまったことが、
死に値する罪だとでも言うのか。

世界中のデモクラシーを葬り去った、
神のしもべ、ジョージよ。