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人というものはいろいろである。
お金のために人を傷つけたり、
事業を拡大するために法律を犯したり、
テストの点を上げるためにカンニングしたり、
度胸のあるところを見せるために
万引きしたりする人がいるかと思えば、
名誉を守るのために死を選んだり、
信仰を貫くために迫害を忍んだり、
自然を守るためにひとりで干潟を掃除し続けたり、
野生動物を守るために
里山に木を植え続けたりする人もいる。
また同じ人であっても、
周りの状況や気分やその他もろもろの事情から、
大変崇高な善行を施したかと思えば、
つぎにはまあ、
ため息が出るほど愚かなことをしたりで、
まったくとらえどころがない。
人のあり方はこんな風に実に多様なものだけれど、
どうやらこの差というものは、
生まれつきの資質によるものばかりではないようだ。
ぼくという人間が何者で、
あなたという人が何者かということは、
つまるところ、あなたやぼくが
「 何を大事に思っているか」ということに尽きる。
コップに入れた水を大事に思えば、
足の運びは当然そろりそろりと慎重になる。
「コップの水」を大切に思うだけで、
意識していようがしていまいが、
あなたは自動的に「慎重な人」になってしまう。
お金を何より大事と思えば自動的に貪欲な人になり、
勝ち負けを何より大事に思えば
自動的に思いやりの薄い人になる。
ぼくが言いたいのは、つまりはそういうことだ。
いつの間にかわが国でも、
企業の業績を伸ばすため従業員を解雇することが
当たり前に認められるようになってしまった。
これは経営者がみんな悪い人になってしまったからではなく、
会社の利益が何より大事、という特殊な考え方が、
いつしか善と見なされ広がってしまったからである。
あなたがどんなにいい人であったとしても、
会社の利益が「いちばん」大事、という考え方に立つ限り、
会社の利益を最大化するための経営計画を策定し、
実行するしかないだろう。
その計画の一環として不要な人員を整理するのは、
あなたにとって、良心にもとづいた
正しい選択と言えるだろう。
しかし忘れてはいけない。
「会社の利益がいちばん大事共和国」が
いかなる論理で運営されていようと、
外から見ると、
リストラによって大きな利益を上げようとするのは、
ヨットレースに勝つために、
仲間をポイポイ海に投げ込むことと同じなのだ。
あからさまに言えば、これは狂気に近い異常な行動である。
無人のヨットが最高記録でゴールするさまを見て、
素晴らしいと喝采することもまた、同じく異常であるのは
言うまでもない。
異常なことを善として大事にすれば、
それに則った行動の結果が異常なのは当たり前である。
何を大事にするか、
という最初のステップで間違えていたら、
真面目にやればやるほど、
間違った方向に誠実に突き進んでいくことになる。
戦争中の狂気の蛮行の多くは、
きわめて良心的に誠実に行われたことを
忘れてはいけない。
何を大事にするか、がいちばん大事なことなのだ。
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