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スペースシャトルが墜落した。
いや、スペースシャトルそのものは何機落ちても構わないのだが、この事故で7人もの人が命を失ったことが、何とも痛ましい。
もちろん彼らはプロ中のプロだから、
自分たちのミッションが常に死と隣り合わせであることくらい覚悟の上だったろうし、
あちらのチェック、こちらの操作とやるべきことが山積みで、
恐怖を感じる暇すらなかっただろう。
この事故を受けて、 大統領も、宇宙開発の関係者も、
新聞の社説も、みな口をそろえるようにして
「この悲しみを乗り越えて行かなければならない」
「彼らの尊い犠牲を無駄にせず、前進を続けよう」
などと呼びかけているようだ。
でもぼくには、
それがとても異常なことに思えてならない。
彼らは何のために死んだのだ。
宇宙開発というのは、人のいのちを危険にさらしてまで
進めなければならない事業なのか。
宇宙に進出することは、人類にとって本当に必要なことなのか。
そもそも宇宙に出かけて行って何をしようというのか。
これまで莫大な時間と費用と、20名あるいはそれ以上の犠牲者を出しながら、有人宇宙飛行は人類に何をもたらしたのか。
確かに宇宙飛行というものは、ぼくたちに明るい未来を予感させ、科学技術の進歩を実感させはした。
だが結局、ただそれだけのことだったのではないか。
人が宇宙に行かなかったら今日のこの幸せはなかったとか、人が宇宙に行かなかったらこの先地球はこんなに恐ろしいことになる、とか、そういう誰もが納得できる理由が、果たしてあるのだろうか。
宇宙開発には、確かに夢がある。
ぼくもアポロ11号に熱狂していたクチだから、そのことはよくわかる。
しかし夢があろうがなかろうが、こんなものは米ソが国家の威信を懸けて、やがて軍事的な利用を期して、ただそれだけのために拡大してきたものじゃないのか。
いったいそこに、敵国に対する意地と恐怖以外の何があったというのか。
どんなプロジェクトでも、いったん始まってしまうとそのプロジェクトを進めること自体が目的になってしまって、
プロジェクトの目的そのものは考えられなくなってくる。
もしかしたら、宇宙開発もまた、そういう状態になっているのではないか。
いったい何のためにやっているのか、もし分かっているものなら教えてほしい。
なにしろスペースシャトルというものは、
60回に一回の割合で墜落し、落ちれば絶対に助からない、という凄まじいプロジェクトなのだ。
これは都市部の鉄道にたとえれば3時間に一回脱線事故を起こすということだし、
60台の車を持つタクシー会社にたとえれば、毎日必ず運転手が激突して死ぬ、ということなのだ。
こうした犠牲は本当に、
人類の幸福のために必要なことなのだろうか。
人のいのちをこれほど使い捨てながら、
それでも手に入れなくてはならないものとは、
いったい何なのだろう。
ぼくにはまったく分からない。
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