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みなさん、あけましておめでとうございます。
今年もよいことがたくさんあるといいですね。
さて、わたしは新年早々、貴重な体験をしてしまいました。
例年のごとく年末年始は妻の実家でぐうたら食っちゃ寝て過ごしていたのですが、正月3日、さわやかに目覚め家の前に出てみると、停めておいた愛車1995年製ラルゴに、細いキリみたいなもので、こう、きききききききき、と前のドアから後ろの方まで傷がつけられていて、いやあ、おどろきました。
年末には義弟の車も同じ場所で同様の被害に遭ったといい、こちらは買ったばかりの外車だったから、大騒ぎだったようです。
それでもあまり気にしないでいたら、その翌々日ですよ、あなた。 もう一本、ぎぎぎぎぎぎぎ、と前のドアから後ろの方まで、新しいキズが付いているではあーりませんか。サインカーブとコサインカーブのように、あるいはDNAの二重らせんのように、絡み合う2本の波打つ模様が、何とも言えず美しい…わけないだろーっ!
幸か不幸か、ぼくはクルマを大事にしていないので、キズがつくこと自体はまったく、いやほとんど、いやそれほど気にはしていない。
ぶつけてボコボコにへこんでも、ウインカーのカバーが割れても、コンクリートの壁にずりずりと擦りつけても、無事に直ればそれでいいし、だからこそ、妻にたびたびクルマを貸しながらも夫婦が円満に過ごせているのである。
しかしそんな寛容の権化のようなぼくであっても、傷が意図的につけられたとなるとまったく話は別である。何かモノではなく、自分が愚弄されているようで、さすがに腹が立つ。
それにしても、どうしてそんなことをするのだろう。
鬱憤晴らし? 嫌がらせ?
いやあ、違うね。 ただ悪いことがしたいのだ。
おそらくそこには「傷つけてはいけないクルマに傷をつける」という禁断の快感があるだけで、
誰かを怒らせてやろうとか、困らせてやろうと言う意図はないのではないか。
やっちゃいけないことだから、やってしまいたい。
という気持ちがあるだけで、
その結果がどれほどの怒りを呼び起こすものか、どれほど多額の修理費がかかるものか、なんてことには案外思い及んでいないのではないか。
暴走族のアンちゃんたちが、病気でふせっているおじいちゃんの寿命を縮めてやろうとか、赤ちゃんを毎晩たたき起こして母親をノイローゼにしてやろう、なんてことを思っていないのと同じように。
こうした「想像力の欠如」というのは、クルマに傷をつけるというような自覚的な悪いことだけでなく、本人が全然自覚していないような悪いことを往々にして引き起こす。
悪気がないのは、ときとして、あるよりもっとタチが悪いものなのだ。次回はもう少し、そんな話をしてみよう。
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