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詰め込み教育はよくないと言われ始めて久しいが、
それに代わる方法となると、個性を尊重しようとか、
豊かな発想を育てようとか、今ひとつ、つかみ所がない。
個性だ独創性だ想像力だとは言われても、
どうすれば豊かな発想を育てられるのか、
そもそも豊かな発想やら個性とは何なのか、
そしてそれは本当に必要なものなのか、
なんてことは、あまり考えられていないようでもある。
そりゃぼくだって、コチコチにこり固まった頭より、
やわらかいあたまの方がよいと思うし、
何でも他人の真似をするより、自分の思ったことをやり、
主張する方がよいとは思う。
しかし、独創性だの何だのと、
「考えたことの質」を云々するよりも、
子どもたちにはその前に、しっかり教え、
訓練しなくてはいけない大事なことが残っているのだ。
大げさではなく人生を大きく左右するほど大事なこと、
それは、「考える姿勢」「考える方法」である。
「わたしはどうしてこんなに成績が悪いのだろう」
「不景気でお客が減った」
「あした雨が降ったらどうしよう」
「試験なのに全然勉強していない」
などという悩みは、
身もフタもない言い方をしてしまえば、
問題の設定(問いの立て方)自体が、完全に間違っている。
そうではなく、こういう風に考えるべきなのだ。
「成績を上げるにはどうすればよいか」
「お客を集めるにはどうすればよいか」
「あした雨が降ったときには何をするか」
「試験当日までに何をどこまでやるか」。
こういう形で問いを立てずに、ただあれが悪い、
これは困った、と繰り返していても仕方がない。
すべての答は、問題を解答可能な形に言い換えることによってのみ導き出せるものなのだ。
そしておそらく、成功とか幸運といったものは、
人ごとのように天下国家を評論するのではなく、
自分に何ができるかを考え、行うことによって、
はじめてたぐりよせることができるものだろう。
子どもたちに、そういうことを教えてやりたい。
ぼくはぐるぐる回って悩み続ける人を、
馬鹿にするつもりも、責めるつもりもない。
それどころか、光のみで影を知らず、
理屈で割り切れない悩みとか哀しみを顧みない人とは、
結局のところ分かり合えない、くらいに思っている。
しかしそんな性格的な傾向はともかく、
本当に何とかしなくてはいけないときには、
根が明るかろうが暗かろうが、神経が太かろうが細かろうが、
解決を目指して合理的に考える程度の「技術」だけは
身につけておくべきだと思うのだ。
悩まず考えよう、と肝に銘じているおかげで、
ぼく自身、これまでどれほど助かったか分からない。
いろいろな学科を教え込むばかりでなく、
個性的な考え方を尊重するばかりでもなく、
子どもたちにこういう姿勢なり考え方を身につけさせてやる。
よく分からないが、
いわゆる「生きる力」を育む教育ってのは、
たとえばこういうことを言うんじゃないだろうか。
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