けなすより、教えてくれ

 

 

 

先日新聞に、近ごろの若いモンはこんなことばも知らないんだよー、という調査記事が出ていた。
「つとに」「けんもほろろ」「言わずもがな」「ゆゆしき」「よんどころない」なんてことばをどのくらいの人が知っていて使っているか、ということを年齢別に調べたものである。

その結果、おお、「十代の若者はことばを知らない」ということが判明したんだとサ。そりゃそうだろう。こんなこと、判明する前から誰でも知っている。

若いモンは、確かにことばを知らない。
この結果を受けて、文化庁国語課は「年長の人と話す機会が減ったことや読書不足が背景にあるのだろう」と人ごとのようにコメントしたらしいが、ぼくの考えは違う。

若いモンに限らず、ぼくたち親の世代も含め、これほどことばを知らないでいるもっとも大きな理由は、
文部科学省と新聞社と出版社と学校が結託して、ぼくらにことばを教えないようしてきたことだ。

難しい漢字をどんどん使う。その代わり、ルビを振って誰でも読めるようにする。難しい言い回しも構わず使う。
毎日目を通す新聞がたったこれだけのことをやってくれたら、ぼくたちの語彙力は確実に向上する。
字やことばというものは、こうやって日常の中で教え覚えさせていくのが一番いい。

新聞は大衆のものだから、みんなが読めるようにしたい、という事情は分かる。しかしだからと言って、知らない人に合わせることはあるまい。
分からなければ学べばいい。知らなければ教えてやればいい。
これが進歩向上を願うまともな人間の発想というものなのであって、今の教育・報道・出版の世界に蔓延する「分からないものは見せないようにする」「分かってもらえそうなところまでどんどん易しくしていく」という考え方は、一見親切そうに見えながら、その実、人の能力と可能性を軽んじ、侮蔑するものだ。

ことばは日常的に繰り返し接することによって、初めて自然なものとして定着する。
だからことばを後世に伝えようとするならば、安易にやさしく言い換えしたりせず、そのまま使い続ける方がいい。
文部科学省やマスコミが「若者は言葉を知らない」などと口にするのは、親が子どもに向かってずっと幼児語を使い続けた挙げ句、うちの子はことばを知らなくて、なんてぼやいているのに似ている。

何も遠慮することはない。必要とあらば、ではなく、適切でありさえすれば、新聞雑誌テレビラジオは難しいことばを遠慮なくバンバン使えばよいのだ。難しい漢字にはルビを振ればよいのだし、多少耳慣れないことばでも、前後の流れからおおよその意味は分かるものだ。

用字制限なんてことは、文化からも教育からも、もっとも遠い愚行である。
最大にして最強の漢字教育機関である新聞が、いつまでも「ら致」されたり「だ捕」したりしていてはいけない。
知っている者が無知にすり寄ってどうする。

教科書も、そろそろ不自然で醜怪な表記はやめよう。「せん門家の知えがこう買者に受け入れられた証こ」なんて字を見せられながら育つ子どもに、まともな言語感覚を期待する方がどうかしている。
そんな風に書かれた本をいくら読んだって、つとに問だいとなっているゆゆしき事たいがかい決するはずがないなどとは、これまた言わずもがなのことではないか。