お父さん、ホタルだよ

 

 

 

昨夜、螢をみた。
植物園で行われた観察会に参加したのだ。
通い慣れた植物園も、閉園して真っ暗だからいつもとすっかり違っていて、
足元が見えないせいか、地面ではなくもっとふわふわしたものの上を歩いているような気がして、夜というだけで、もう面白い。

観察会場である水辺の庭園を見下ろす場所に差しかかると、明滅しながら漂うほのかな光が見えてきた。
おお、これが。

近づくと、みどりの光の粒が、あちらでもこちらでも、ふわふわと飛び交っている。
すぐ手の届くところを飛び、あるいは草の葉を透かして、まるで息をしているかのように光り、消え、また光る。

数十年昔であれば、これは初夏の当たり前の光景だったのかもしれないが、
でも、ぼくには、この世ならぬ眺めのように見えた。

闇の中に浮かぶこわれもののような光から伝わる、いのちの不思議さや、はかなさ。
眺めているうちに、ぼくのたましいまで、だんだん透き通ってくるようだ。
闇にともり、闇に溶けるこの小さな光の中に、いのちそのものの息吹を見た気がした。

ところがね。こういうものが分からない人がいるんだよね。
中でも、すっかり退屈してしまったどこかのお父さんが、4年生くらいの息子を相手に、「最初はグー、じゃんけんぽん」なんてやりだしたのには閉口した。

こういう厳粛なものを前にしながらじゃんけんぽんをするということが、
多感な年頃の息子にとってどんな影響を及ぼすものか、
お父さんは考えたことがあるのだろうか。
そのとき味わうべきことを味わい、その場にふさわしい振るまいをするということを犠牲にしてまで、このお父さんはいったい、他の何を教えようというのだろう。

お父さん自身はそのまま生きていくより他にないとしても、
こういう大人を見ながら育たなくてはいけない子どもたちが、何とも気の毒だった。
もしかしたらお父さんのように育ってしまうであろう男の子に、憐憫の情を禁じ得なかった。

そしたらね、そのとき一緒にいた小学校の一年生くらいの娘さんが、
小さな両手をこぶしにして、お父さんの太鼓腹をどしどし叩きながらこう言ったのさ。

「もうやめろー。ほたるを見に来たんだぞ!」

いいぞー。
そのまま大きくなるんだぞー。

そう思って女の子を見たら、
その子の視線はもうお父さんを離れ、
水の上を飛んでいくホタルを追っていた。