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谷津干潟(やつ・ひがた)を知っているだろうか。
ラムサール条約の登録地として認められた千葉県習志野市にある「野鳥の楽園」である。ほーっ、知っていますか。
それでは、この干潟が、かつてはヘドロとゴミと不法投棄物にあふれ、悪臭が漂う場所だったことは?
住民にも見捨てられ、一度は埋め立てが決定していたことは?
ぼくは環境問題に疎いので、これらのことをなーんにも知らなかったのだが、たまたま生徒のために買ってあった「理科や算数がすきになる 5年生の読みもの」という本を読んで、この干潟の再生物語を知った。
いやあ、驚いた。今の時代にこんなすごい話があるなんて。びっくり仰天。 で、どういう話かというとね。
新聞店で働く森田さんという人が、1974年のある日、「渡り鳥の宝庫、消滅へ」という新聞記事を目にする。 干潟の埋め立てを報じた記事だ。
森田さんにとってこの谷津干潟は、子どもの頃遊んだ懐かしい場所だった。
干潟を訪れた森田さんは、そこで凄まじい景色を目にする。 かつてアサリやハマグリをとり魚やトンボを追って遊んだ楽園が、悪臭漂うヘドロとゴミで埋まっている!
冷蔵庫、自転車、机、ガス台、セメントの固まり、廃材、果ては墓石までが捨てられている!
森田さんは、その場で靴を脱ぎ、ズボンをたくし上げ、ヘドロの中に足を踏み入れ、鼻を突くひどい悪臭の中、ゴミを拾い始めた。
その日から「日中の時間のすべてを使って」干潟に通いつめるたったひとりの闘いが始まったのだ。
泥まみれ、ゴミまみれになってたったひとりでゴミを拾い続ける彼に、世間は手放しの称賛を送り、協力者が続々と現れた、のではない。
それどころか、こういう態度をとったのだ。
市の清掃車は、「国有地から出たゴミは市の管轄ではない」とゴミの回収をしない。仕方なく自分でゴミを燃やすと、今度は近所の住民が力ずくで止めに来る。
「こんな干潟は早く埋めてしまえ」と言いながら、目の前でゴミの袋を投げ捨てる人がいる。小便をする人もいる。
心ある人たちとのやりとりを願って作った通信箱は壊される。
「 干潟を守ろう」と書いた看板は引き抜かれ、干潟に投げ入れられる…。
交通事故で大けがをして入院し、三ヶ月後、治りきらない足を引きずって来てみると、そこには彼をあざ笑うかのような、山積みのゴミ…。
はっきりした資料に当たってはいないのだが、はじめての協力者が現れるまでに、どうやら5年ほどかかったようだ。 5年と一口に言っても、いつまで続くか分からない毎日が積み重なった5年は、正気を失うような、限りのない長さだろう。
森田さんが、たったひとりでゴミを拾い始めてから11年後、埋め立て中止が決定し、干潟の保存が決まった。
のみならず、今ではラムサール条約の登録地として、末永く、国を挙げて保護していくことになっている。
森田さんの孤独な闘いは、こうして大きな実を結んだのだ。
しかし、忘れてはいけない。
森田さんは今でこそ谷津干潟を救ったヒーローとして広く尊敬を集めているし、
千葉県の県会議員として社会的な成功を収めてもいる。
が、あくまでそれは結果である。
誰も行く先を予見することなどできはしないのだから、
ひとりでゴミを拾い続けているそのときには、彼の前には未来のひとかけらも見えなかったろう。
誰にも認められず、誰にも感謝されず、 罵倒と妨害と誤解と憎悪と中傷とに囲まれながら、 どろどろのねとねとのヘドロと悪臭の中をはいずり回る日々。
もしかしたら一生こんなままで終わるのかもしれない。
こんなキツイ思いをして、一銭の得にもならず、 誰にも認められず、誰にも誉められず、 死ぬまで臭い泥の中を這いずって…。
幾度となく、そんな思いにかられたろう。
これほどの孤独、これほどの恐怖をねじ伏せつつ、
彼を突き動かし続けたものは、何だったのだろう。
ぼくにはとても分からない。
ただ、こんな偉大な人が、今の世の中にいることが嬉しいと、
ぼくは素直に、そう思った。
それでも、あえてひとひねり!
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