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子どもの頃、「本をまたいではいけません」 と
しつけられたこともあってか、
ぼくはけっこう本を大事にするほうである。
ちょっと乱暴に積み上げる程度ならともかく、
線を引いたり、ページの端を折ったり、
綴じ目のあたりをゴシゴシこすって
開き癖をつけたりするのがどうもイヤだ。
開いた本を伏せて置くというだけでも、抵抗がある。
きれいな手でページの端をそっと持ち、静かにめくる、
というのが本来ぼくに染みついた読み方なのだ。
そんな読み方で、
これまで 随分たくさんの本に接してきた。
しかし、読み終わったはずの背表紙を眺めながら
内容を思い出そうとすると、
記憶の中身のあまりの乏しさに、愕然としてしまう。
ぼくは記憶力が弱いのか、よほど意識を集中しないと、
読んだ端から跡形もなく忘れてしまうのだ。
推理小説なども犯人すら忘れてしまうから
何回でも楽しめるし、
同じ映画のどんでん返しに何度も驚いてしまう。
2週間前に遊びに来たばかりの友人に電話して
「久しぶりに、ウチにもおいで」
と言ってしまったこともあった。
この手のことなら笑い話ですまされようが、
読んでも読んでも忘れるような読み方を続けるのは、
時間、すなわち
生きることそのものを空費しているに等しい、
と近頃では考えるようになった。
幸いなことに、ぼくは覚えようとしたことだけは
そこそこ覚えていられる。
であれば、もっともっと線を引き、書き込みを入れ、
メモを貼りつけて印象を強めるとともに、
ポケットにねじ込み持ち歩いて
いつでもどこでも読むようにしたほうが
良いのではないか。
そんな風にすべての本を
教科書のように使い倒すことができたら、
読書の質は飛躍的に上がるのではないか。
本を大切にするということは、
内容を余すところなく味わうことであって、
紙の束をきれいに保つことではない。
自分にとっての本の価値は、本棚に飾った姿ではなく、
頭に入った内容で決まるのだ。
そう思ってからぼくは、 意識して(いや努力して)、
本をぞんざいに扱うことにした。
そして今年になって、
努力の成果と言うべきか、
風呂の中で本を読むことと、
ボールペンで線を引いて読むことを覚えた。
湯船の中で読んでいると、
あまりの気持ちよさにときどき居眠りして
本をぽちゃんと落としてしまうこともあるが、
気が散らず、集中できて大変よろしい。
読書時間がずいぶん増えた。
ボールペンで線を引いて読む、
というのも最初はとても抵抗があったが、
やってみると具合がいい。
読みが正確になるから、
これまでもやもやと拡散してしまっていたことが、
いちどで頭に入るようだ。
こういう読み方は、元来ぼくの好みではない。
今でもまったく抵抗がない、と言えば嘘になる。
それでもぼくたちは
いつまでも生きられるわけではなく、
読み返す時間が無限にあるわけでもないのだから、
死ぬまでに読めるたかだか数千冊の本を、
しっかり味わい尽くすこんな読み方を
そろそろ身につけておくのも悪くない、
なんてことを思うのだ。
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