足を引っ張れ、ムネオ張レ

 

 

 

新聞というものは、朝夕刊をセットで1部と数えても、毎日毎日まーいにち、5400万部も発行されているらしい。
配達される2つ折の形のままで並べても、タテの長さを30センチとして、かける5400万部だから、えーと、ざっと16200キロメートル(東京−名古屋間の50倍)にもなるわけで、これだけの量が毎日毎日まーいにち発行されているのである。ちょっとその図を想像してもらいたい。何だか恐ろしくなるような量ではないか。見渡す限りにどこまでも続く今日の新聞!ひと月分を並べるだけで、はるか天上に浮かぶ月の向こうまで行ってしまうのだ。ひゃあ。

こんな膨大な量の新聞に、これまた毎日掲載される事件というのは、もう何をおいても伝えなければならない、何をおいても知らねばならない、すごく大事なことであるに違いない。そりゃそうだ、そうに決まっている。

さて、以上のことを踏まえて見れば、わが日本国において、目下全国民があまねく知らねばならない重大事というのは、たとえば鈴木M男という人の仕事ぶりらしい。何でも「疑惑のデパート」なんていうくらい、叩けば叩くほど、次々に汚いものが出てくるそうなので、そりゃ新聞社としては楽しいでしょうなあ。

政治の話題が好きな人には申し訳ないが、こういう報道の価値が、ぼくにはまったく分からない。鈴木M男氏の記事が、月まで届かせなければならないほどに重要なものだとは、とても思えないのだ。

力を持った悪役が、正義の味方にやられてしまうのは、確かに気持ちがいい。だから世の中というものは、いつも強い悪役を求める。それはよく分かる。わが愛知県では名君として誉れ高い吉良上野介が、全国ネットの忠臣蔵ではすっかり悪役として定着してしまったのも、そのせいだ。(か?)

悪役叩きの社会的意義はその程度のことである。
だって、叩く相手が鈴木M男氏でも野村サッチー氏でも、読んでいる側の気分は同じじゃないか。エラソーにしている悪役がやられていさえすれば、それでいいのだ。
そんなものが社会的に必要な報道と呼べるか?

政治というものが、ただの娯楽であるならそれでよい。
しかし、現実の政治というのは、エンターテイメントなどではなく、国が国として生きていくために最も重要な分野なのだ。

だから、その高度に専門的な、国家の命運を担う仕事をなすべき政治家というものは、反論を承知で言ってしまえば、利権にまみれていようが、品が悪かろうが、女性にだらしなかろうが、そんなことはどうでもいいのである。

野球選手に一番大事なのは野球が上手ということであり、音楽家に要求されるのは、音楽センスであり演奏技術である。
同様に、政治家に真っ先に要求されるのは、清廉な人格であるよりも、将来を見すえた上で国を正しい方向に導く能力である。経済的な繁栄と平和をもたらすリーダーシップであり、強国を相手にたじろがず、自国に有利にことを進める冷徹な交渉能力である。

M男氏にそれがあるかどうかは知らない。
しかし、どうせ政治家を弾劾するのであれば、本来的に重要ではない利権がどうのという部分をつつくのではなく、最も有害な存在である「政治能力のない政治家」をヤリ玉に挙げてもらいたい。

新聞は世の中のために報道しているように見えながら、実は「気に入らない」政治家を追い落とすためにキャンペーンを張っているようだ。繰り返すが、新聞社にとってはどうだか知らないが、日本という国にとっては「気に入らない」「汚い」よりも「無能」というのが一番大きな害悪なのだ。

ぼくたちが政治家に期待しているのは、玲瓏(れいろう)玉のごとき人格などではない。
田中角栄を追い落とし、それで日本はよくなったのか。
「わが国に不利益をもたらした」以外の理由で政治家を断罪することの愚かさは、この一事を思えば明らかではないか。

マスコミのみなさんは「正義の告発」なんて胸を張りたいのかもしれないけどさ、
そういうのはふつう、「足を引っ張る」って言うんだぞ。

政治と報道については、「ほんとに怪しいのはだれなのさ」もどうぞ。