びんぼう神様さま

 

 

 

松吉の家に貧乏神が住みついた。
家は見る間に貧しくなった。
松吉と女房のおとよは、
貧しくなっても恨み言ひとつ口にしない。
それどころか、
「子どもがぜいたくも言わずに何でもよろこぶのは、
貧乏神さんのおかげかもしれない」
などと言ってありがたがり、
ついには貧乏神のために神棚まで作ってしまう。
そうして大事にしてもらっても、
お返しにできるのは、貧乏にすることだけ。
人の良い貧乏神は悩み始めるが …。

病院の待合室で何気なく手にしたこの「貧乏神様さま」、
どういうわけか、ものすごく心に沁みて、
思わずうるうるしてしまった。
いい歳したおじさんが、
小学生でも読める本でうるうるしていてはいけない。
そう思って、
できるだけ感動しないようにさらっと読んだ。

書きたくて書きたくて、この本を書いた人がいた。
そして、それを読んで感動した人たちがいた。
黙っていられずに
コピーして親しい人に配った。
読んだ人たちがまた知人に伝え、また伝え、
そうして望まれて望まれているうちに、
やがて冊子に、
ついには本に印刷されて、
世に出ることになった、という。

商業的に仕掛けられた流行とはまったく違うこの本の力。
ここでは、さも分かったような批評は意味を持たない。
読んで何かを感じられれば、それでいいし、
何も感じなければ、そのまま素通りすればいい。
ちょっと批評ができるからって、
あれこれ欠点をあげつらい、
人の感動にケチをつけることはないだろう。

こんな本を読んでみると、
作品としての緻密さとか完成度なんてものは、
粗削りな情熱の前には何の力もないのだ、ということが
よく分かる。

世の中では、多くの人がマイナスを減らそう、
欠点をなくそうと心を砕いているようだけど、
本当に人を引きつけるのは、
可もなく不可もない知的なノッペラボーなどではなく、
もっと激しく、もっと愚かな何かなのだなあ、
とつくづく思う。

「びんぼう神様さま」
地湧社(ぢゆうしゃ)ISBN4-88503-153-2。

取り寄せて、改めて読んだら、
ちくしょう、やっぱり泣いちまったーい。