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自分が子供だった頃を語らせると、大人はみな、同じようなことを言う。
ろくに勉強しなかった(けど、そこそこできた)。
毎日暗くなるまで外で遊んでいた。
いたずらをして、よく叱られた、などなど。
そしてこんな話が続く。
それに比べて今の子は、かわいそう。
友だちと泥だらけになって遊ぶような場所もないし。
自然に親しむ機会もないし。
自分の手で物を作る機会もないし、
からだを使って遊ぶ機会もない。
草や花、土や木に触れる機会もない。
よいお話を聞く機会もない。
よい本を読む機会もない。
ゲーム、ゲーム、部活、まんが、ゲーム、部活、宿題、まんが、勉強、ピアノ、まんが、習字、ゲーム、勉強、部活。
ああかわいそう。
わたしたちのように、のんびりした子供時代を過ごせればいいのに。
今よりずっとのびのびしていたあの時代。
わたしたちが当たり前に知っていることを、あの子たちは知らない。
今の子たちは、ほんとうにかわいそう。
誰かがこういう話をすると、かなり多くの人がうんうんと、うなずきながら聞いている。
しかし、水を差すようで恐縮だが、ぼくは、こういうとらえ方はちょっと違うんじゃないかなあ、と思っているのだ。
端的に言って、思い出は美化されるものだ。
濃縮された思い出の方が、リアルタイムの現実よりも濃いのは当たり前じゃないか。
目の前にある今日という瞬間は手にすくった水のようなもの、色もなければ手応えもない。
何十年も前のことを思い出すのは、水に潜って向こうを見るようなもの。海は青く暗く色づき、色とりどりの魚が泳ぐ。手にすくったつまらない水とはわけが違う。
そりゃ、そりゃそうさ。
だから、
たまたま外で遊んでいた日のことを思い出し、
たまたまものすごく勉強した数週間を思い出し、
たまたま人助けをしたただ一回の経験を思い出し、
たまたま図書館に通った夏休みを思い出し、
たまたま頑張った試合前一週間の部活を思い出し、
たまたま家事を手伝ったときのことを思い出し、
おかあさんはね、
いつも元気に駆け回って遊んでいた。
そして、勉強するときは一生懸命。
いつも人の役に立ちたいと思っていたし、
本をたくさん読んでいたものよ。
そう、部活をやるときも真剣だったわ。
もちろん家の手伝いもね。
なんて思い込むのはやめてほしい。
思い込むのはともかく、子どもにそれを期待するのは
もっとやめてほしい。
期待するのはともかく、子どもにそれを押しつけるのは
もっともっとやめてほしい。
過ぎたことは何とでも言えるが、子どもの頃のぼくたちは、
そんなに立派なスーパーキッズじゃなかったはずだ。
そう認めてしまえば、
親も子供も、うんと楽になると思うんだ。
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