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いたいけな女の子を9年余にわたって監禁していた男の裁判の記事が、きのうの新聞に載っていた。
懲役14年の刑が言い渡されたそうだ。
思い出すだに不愉快な、まったくひどい事件だった。
国中が犯人を憎む気持ち一色になったのも、当然と言える。
なかなか溜飲の下がるような、思い切った判決だった。
どうせならもっとキツイ刑でもよかったかもしれない。
シベリア送りとか、市中引き回しとか。
水責めの刑とか、三万回回ってわんわんわんの刑とか。
どうせ法律を踏みにじるなら、そこまで滅茶苦茶にやればいいじゃないか、と思った。
何しろ監禁罪は最高でも懲役十年である。
うーん、軽い。軽すぎる。
もうちょっと何かないかなあ。えーと…。
おお、こいつ、二千円ばかり万引きしてやがる。いいぞ。
えっと、そうすると、
窃盗罪は最高5年だから、これを足して15年、と。
まあ、こんなもんでいいかな。
ってなことを、検察は考え、
裁判所も「うん、そうだ。それでいいね」と認めたわけだ。
ちょっと待ってくれ。
こういうことをしていいのか。法の運用というのは、そういうものなのか。
それともわがニッポンでは、服を万引きするような極悪人は、誰でも4年もの実刑判決を受けることになっているのだろうか。
なんせ法律の定める刑罰は、殺人罪でも3年からである。
それを考えると「2千円の万引きで懲役4年の実刑」という判決が、いかに恣意的で、いかにこじつけで、いかにめちゃくちゃなものであるか分かる。
普通の文明国には、法律の二大原則と言われるものがある。
「罪刑法定主義」と「刑罰不遡及」の原則である。
罪刑法定主義というのは、犯罪に対する刑罰は、あらかじめ法律に書いているものに限られる、というもの。
ぶっちゃけた話、監禁罪は10年までなんてなっているけど、こいつは憎たらしいから特別に14年だ、なんてことはしてはいけない、という原則である。
ついでに「刑罰不遡及」とは、刑罰は成文法が成立した時点以降の事件にのみ適用されるとする原則である。
つまり、「じゃ、長期の監禁に対する法律を今から作るから、それでこいつを罰することにしよう」なんてことはしちゃだめだよ、ということだ。
どうしてこの二つが二大原則とされるかというと、恣意的な運用を許すと、何をすればどう罰せられるかということが誰にも分からなくなってしまうからだ。
これこそ法という怪物が暴れ回らないようにするために、絶対に必要な制御装置なのだ。
今回の厳しい判決を聞いて、
裁判所はわれわれ庶民の感情に近い判断をしてくれた、
お上もたまにはいいことやってくれるねえ、
なんて思っているみなさん。
ちょいとそれは人が良すぎる。
監禁罪で14年、という判決は、
たとえば駐車違反で銃殺、というめちゃくちゃなお裁きと何ら変わらない、とぼくは思う。
ほんとうに、あれで、いいのか。
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