|
犬の散歩をして後始末をしない人がいる。
よほど腹に据えかねるのか、かなり激しい注意書きを張り出している家もある。
始末のできない者は犬を飼う資格なし!
家の前でフンをさせるな!
おまえが誰だか知っているぞ!とかなんとか。
ぼくはそういう張り紙の激しい文句がどうも苦手だ。
たかが犬のフンのことで人でなし呼ばわりすることないんじゃないかな、と思う。
確かに迷惑しているのは分かるが、憎悪を剥き出しにして、相手の人格を否定するような言い方には、何だか寒々とした思いがする。
もともとぼくはこの問題にはたいへん寛容で、道路の真ん中はイヤだがすみっこの方ならまあいいか、なんて思っているし、人が頻繁に行き来しない土手の草むらなんかだったら、もう全然気にしない。
だから怒る気持ちは分かるけれども、あんなに激しく相手を憎み弾劾する気持ちとなると、どうもピンとこないのだ。
確かにマナーの悪い人はいる。
ぼくの塾の前の道は煉瓦風の舗装がしてあるきれいな舗道で、商店街に続く坂に沿って、ナンキンハゼの街路樹とつつじの植え込みが続いているさまはなかなか美しいのだが、この街路樹の根元や植え込みの陰などに、ポリ袋を小さく縛った犬のフンがいつも決まって捨ててある。
これはかなり悪質だ。ひとまず片づけるふりをして、人目がなくなったらさっさと捨てるわけだから。確信的に悪いことをしているのだったらいっそコソコソせず、堂々と注意される怖さに立ち向かったらどうだ、と言いたくなる。
でも、たかがマナーが悪いだけのこと、あんまり悪しざまに言うのも大人げない。
第一、憎しみからは何にも生まれない。
ただ怒るのではなく、もっと落ち着いて、始末のしやすい方法を考えた方がいい。
ヨーロッパでもウィーンあたりでは、街角に紙の袋が吊してあって、脇にはちゃんとそのためのゴミ箱まであるという。
怒るだけでなく、そういうことを考えるのが文化なんだよな、なんてことを、ぼくはそう、あの日までは確かに思っていたのだ。
あの日、ぼくはちょっとした用事を済ませた後、いつもの時間より少し遅れて塾に着いた。
郵便受けの下に、小さな袋がちょこんと置いてあった。
飾りも気取りもない小さな袋である。
誰かが訪ねてくれたのかな。
留守にしちゃって悪かったかな。
もう少し早く来れば会えたかな。
なんてことを思いながら、袋の中をひょいとのぞくと。
なんとそこには犬のフン。
こらあっ!
|