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2004-08-11 歴史教育
サッカーのアジアカップで見せつけられた中国人の憎悪は、ぼくたちの予想を超えるものだった。言うまでもなく、彼らの日本嫌いは、先の大戦で日本軍に虐げられた恨みが、まったく風化せずに受け継がれていることの表れだ。ただ、幸か不幸か、60年前のことをまるで昨日のことのように恨み、怒り続ける彼らの感覚が、ぼくたちにはよく理解できない。
これは、よく言われる国民性の違いなどではない。単純に、中国ではずっと歴史教育として日本軍の蛮行を教え続けているのに対し、日本では日本軍が何をしたかも、日本国民が何をされたかも、ほとんど教えていない。違いといえば、まずそれだけのことだろう。
歴史は、教え続けないでいると、驚くほど簡単に忘れられてしまうものだ。事実日本人は、終戦後10年も経たないうちに、ものの見事に歴史を忘れ、恨みを忘れることに成功した。
これがもし仮に、アメリカがいかに無慈悲な空襲を行ったか、ソ連がいかに卑劣な参戦をし残忍な虐待を繰り返したかを語り継ぎ、そのときの恐怖や怒りや憎しみを生々しく伝え続けて来たならば、今ごろぼくたちは、中国や韓国が日本を嫌うのと同じように、あるいはそれ以上に、アメリカやロシアを憎んでいることだろう。
「正しい」歴史教育が、そんな風に憎悪をかき立て持続させる装置として働くものであるならば、「正しさ」には目もくれず、歴史を単に感情に訴えない無味乾燥な暗記科目にしてしまった文部省の戦略(あるいは無策)は、「恨みを忘れる」という意味において、これまで非常な成果を上げたと言ってよい。歴史を学問として、あるいは教養としてとらえたときの是非はともかく、平和を実現するための手段としては、あるいはこちらの方が有効なのかもしれない、なんてことを思う。
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