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2004-07-01 社会科のテスト
昨日行われた中1の社会科のテストに、岩宿遺跡を発見した人の名字を答えよ、という問題があった。
答は「相沢さん」である。知っていましたか。相沢忠洋さん。いやあ、学力低下が叫ばれている割に、今の中学生はすごいことを知っているんですねえ。それでは教科書で相沢さんがどう扱われているか、見てみましょう。お、ありました。これです。ほら、打製石器の写真の下に、8ポイントくらいの小さな字で「相沢忠洋記念館蔵」というキャプションがついているでしょう。それです、それ。
そうなのだ。教科書では、相沢忠洋さんの名前は、図表の下に「相沢忠洋記念館」と載っているのがすべてなのである。アホじゃなかろうか。こんな細かいことを出題するなんて。だいたい「相沢忠洋記念館に収蔵されている」ということを覚えていたとしても、それだけのことから「相沢さんが発掘した」と推論させるのはどう考えても無理がある。じゃあ、三池カルタ記念館にあるカルタやトランプは、みんな三池カルタさんが発掘したと考えればよいのか。雲仙岳災害記念館の展示品は、雲仙岳災害さんが集めたのか。もし極端というのなら、會津八一記念博物館の収蔵品は、すべて會津八一が集めたものだと推論するのは正しいことなのか。
このような出題の結果、細かいことばかりをチマチマ覚えて、まったく論理的・合理的に考えられない子どもが増えてもよい、とお考えか。いや授業でちゃんと説明した、とおっしゃるかもしれないが、問題はそういうことではない。だって、相沢さんは現代の人じゃないか。中学校の歴史のテストで、現代の研究者の名前を問うのは反則だろう。
どうしてぼくがこの出題に目くじらを立てているのかというと、テストというのは、教師にとっては、生徒に順位をつけて序列化するためのものかもしれないが、子どもたちにとっては、勉強のやり方を決定づけるメルクマールになるものだからだ。テストに何を出すか、ということは、とりもなおさず、この科目はこういうことが大事なんだから、それに合わせてしっかり勉強して来るんだぞ、というメッセージなのである。とすればこの中学校は、いったい生徒に何を学んでほしいと思っているのか。
実力をつけるために必要なステップを丁寧に出題すれば、子どもたちはちゃんとそういう勉強をする能力がある。逆に、本質を外したことばかり出題すると、子どもたちは本質を外したことばかりを勉強するようになる。彼らは、学問的な態度や方法を身につけようと思っているわけではなく、ただテストでよい点を取るために勉強しているのだから、これはもうてきめんである。何なら「この写真は教科書の何ページに載っていましたか」「27ページの女の子は、何色のカバンを持っていましたか」なんていう問題を続けて2回も出して見るがいい。子どもたちは、一所懸命になって覚えるから。
先生は、どうやら、百点を取らせないように、とか、何とか差がつくように、ということに腐心しているようだが、そういう下らないことは即刻やめてほしい。子どもたちは、テストによって勉強の仕方を学ぶのだ。その事実の重みを自覚して、このステップを踏めば力がつく、という道筋を示すような志の高いテストを、ぜひぜひ作ってもらいたいものである。
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